え!?英語が下手なのに海外に?

英語をしゃべれなかった自分が海外赴任するまでの奇跡の軌跡と雑談

【日記】6月になりましたね(この日記は6月時点に書きました)

特に何がどう、というわけではないのですが

6月になりましたね。2018年の上半期の最終月です。来月から後半戦に突入と考えると、月日が経つのは早いですね。

この投稿には特に意味はありません

h1にもh2にも、この投稿の無意味さを書くくらい、今回のブログにはテーマがありません。まさに、ブログを書くために書いている、という状態です。Analyticsのログを見ても、アクセスほとんどないし、googleの検索にも引っかからない(せめてふつうのSEO対策くらいはした方がいいと思いましたが)ので、まあ、ある意味誰も見てないから、こういった言い訳そのものも意味がないのですが。。

では、なぜ「ブログを書くために書いている」のか

決して暇だから、ではありません。時間があるのであれば、もっと他の勉強をするとか、(誰が読んでいるかは別にして)テーマのある内容を書く、ということもできますが、今日はあえて、そういう一見無意味と思われるテーマについて書いてみようと思いました。

これまでの、特にここ数年の自分の行動を見てみると、できるだけ意味のあることをしよう、無意味なことを避けよう、というところが多かったように感じています。それはそれで悪いことではないと思うのですが、無意味なことを楽しめなくなったような感じ設けています。

やってみなければわからないこともあるので、無意味と決めつけずとりあえずやってみよう、という精神が大事だというのはわかりますし、そういう意味付けをしてやることもありました。ただ、そのことそのものを楽しむ、という精神になっていないなぁ、と。

昔はMixiとかで日記もたくさん書いたし、書くこと自体が好きだったので、そういう気持ちを取り戻したい、という思いもあるのかと思います。大人になるとはどういうことか、いろいろな考えはあると思いますが、自分が考える大人の要素の1つに、自分のこと以外を考えて行動できるか、というものがあります。これを突き詰めていくと、自分が消えていって、社会や組織、集合体の最大化のためにどう行動するか、という考え方になっていきます。

イノベーションを生むうえで、自らが楽しむというのが大事、という話もありますが、「イノベーションを生むために」自分が楽しむ、という考え方は結局自己ではなく組織の最大化として動いでいるんだと思います。なぜ、イノベーションを生みたいか、という理由も、それぞれだと思いますが。社会貢献とか、自己実現とか、承認欲求とか、金銭的なインセンティブだとか。

感じているのは、こういった何かを達成したい、こうありたい、という思いは、どこからきているのか、それを突き詰めていって、それは本当に自分のありたい姿なのか、考えることはとても大事で、それはとても意味があることだと思うのですが、どこかで「そこまで考えなくてもいいじゃん、そこまで考えるのは無意味だよ」という線が出てくるのだと思います。仕事でもよくあると思いますが、そもそもの根源的なところまで突き詰めないと答えが出ないところに対して、このレベルまで考えればとりあえず次に進めるから、ここまでで押さえておこう、という、目の前の生産性、という壁です。

日々がとても忙しくて、やることも多くて、深く潜ることができなくなっているんだと思います。だからこそ、あえて、無意味だと思うところから出発して、無意味なことをするために時間をとる、ということが必要かな、と思って、今日はこのテーマをブログにした次第です。

誰が言ったか忘れましたが、人生の90%は無駄なことをやっている、世界の90%は無駄なもので構成されている、と。その通りだと思います。でも、実際無駄と思っている人はそんなにいなくて、それが大事だと思ってやっているんだと思います。でも、その人の大事なことは必ずしも他の人の大事なことではなく、無駄なことだというのが往々にしてあるんだと思います。人と関わる社会だからこそ、そうなると思います。だから自分は、その人にとって大事だと思うことを意味あることだと感じ、行動しようと思い、突き詰めていくと自分が消える、という結果になっているのかと思います、特に仕事において。

今日は、あえて言葉を選ばすに言うと、そんな人にとって大事だけど自分にとって無駄なことではなく、人は関係なく自分にとって無駄だと思うところに時間をとってみよう、と思いました。書くために書く、手段の目的化というのは無意味なことだと思いますが、それを突き詰めていく、ということをやりました。

まさに日記と呼ぶにふさわしい、書きなぐった内容を、誰もが読める(でも読むとは限らない)世界に放り投げることができる世界というのは、とても面白いですね。

基本無口なので、話すために話すのは苦手だけど、書くために書くのはできて、そういうテーマからこういう内容にたどり着くというのは、自分の新たな発見なので、こういった発見がどんどんできるといいですね。ただ、期待するとそういう意味を求めてしまう気がするので、そのことそのものを楽しむ精神を忘れずに。